『民学』ーArTUアート小学校
『幼年期・少年期・青年期に公益を考える「芸術」を形象する』
ArTUアート小学校は、次世代を担う「芸術家」を輩出する小さな学校。
「芸術」をスタティックな、シンボル的な、モニュメンタルな造形物として捉えるのをやめ、人間の動的なアクションのなかで考えようとする思想が背景にあります。
これからの「芸術」は、学校ではなく、暮らしの中から生まれてくる。「学校芸術」はもはや世界に通用しません。
ホームエレクトロニクス・カフェは、人を招いたり、招かれたりするサロンになっている。人と人との交流場所だ。そこから素敵なものを「家」に置きたい、人生の素敵な舞台を作りたい、という気持ちが生まれて、それが「芸術」の土壌になっているのです。
ArTUアート小学校は、「高齢者」や「障がい者」たちの家づくりに、子供たちが集まって、幼少期から青年期に、シェアリングコミュニティの「家」を通じて、「環境」、「アート」、「メカ」を統合した「芸術」を表象します。従来の教育や地域づくりとは根本的に異なる「自主学習」による実践的芸術アプローチです。
「レッジョ・エミリア・アプローチ」という戦後間もない時期に北イタリアのレッジョ・エミリア市で、地域の共同保育運動として始まったこのアプローチは、理論と実践の両面に優れた教育家ローリス・マラグッツィの指導と、市当局のバックアップによりその基礎が築かれた。
人口わずか14万人の地方都市に起こったレッジョ・アプローチが、世界的な評価を受けるようになったのは、1991年ニューズウィーク誌に「最も革新的な幼児教育」として紹介されたのです。
世界の教育家やアーチストたちは、レッジョの子どもたちの高度な表現力と独創的な思考力に目を見張った。子どもの思考・表現が、一つの世界観にまで高められたメッセージとして見学者に伝わりました。
レッジョ・エミリアの教育は、子どもと大人の双方が創造性を発揮し、美的で探求的な活動をとおして共に学び、育ちあう関わりを形成することにある。しかしそれは狭義の芸術教育ではない。ましてや大人の知識・技能を子どもに教え込むことでもありません。
その能力が表面化し開花するには、自発的なコミュニケーションのチャンスが与えられる「必要」があり、そしてコミュニケーションには相手が「必要」です。
The regionの「家」づくりには、高齢者も障がい者も、女性も、そして子供たちの手が必要なのである。「生活の簡素さ」を命題とするこの小さな家は、日常を維持するするだけでも、やらねばならぬ仕事が無数にあります。
だからこそ、その数だけ人々の労働が必要とされ、高齢者や子供にも、誰にでも居場所が空けられている、究極のワークシェアリング社会が営まわれている。そこは高齢者と障害者と女性と子供たち社交場であり、小さな仕事場なのです。
そして、誰もが互いを「必要」としあっているという関係を、日々、互いに自覚してゆくために、感謝の言葉とか朝晩の挨拶とかがごく当然に「必要」とされ、「心=人情」もまた、堅実なかたちで育てられていくのです。
子どもたちは身振り手ぶり、言葉、そしてアートを使って自らの思考や感情を表現し伝達する独立した個人として育ちます。
レッジョ・エミリアの教育は、一定の教具やカリキュラムにそって決まったとおりのことを教えるのではなく、子どもと保育者がじっくりとコミュニケーションを取り合いながら、ユニークなカリキュラムを協働で創り出して行くのがこのアプローチの特色なのです。
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