アート小学校とは?
ArTUーアート小学校とは?
芸術にマニュアルなどありません。全て人々がデフォルトなのです。
アート小学校・バウヒュッテ・フォルケホイスコーレでは新進気鋭の無名の芸術家のたまり場として機能し、数十年後にはそこからパブロ・ピカソやモディリアーニといったような世界レベルの芸術家を輩出していきます。
アート小学校・バウヒュッテ・フォルケホイスコーレでは新進気鋭の無名の芸術家のたまり場として機能し、数十年後にはそこからパブロ・ピカソやモディリアーニといったような世界レベルの芸術家を輩出していきます。
アート小学校・バウヒュッテ・フォルケホイスコーレは、全て自己学習です。「ティーチャー」はいません。オップリュスニング(oplysning)を念頭においています。オップリュスニング とは、「灯っている」「滲んでいる」という概念で、それぞれの人やモノが、自分の内にあかりを灯すこと。そのあかりでたがいに照らし合い、影響を受け止め合って、ともに成長して行くのです。そこにいるのは、「ティーチャー」ではなく、自分で考えることを助けるという意味の「ファシリテーター(促進者)」なのです。
アート小学校・バウヒュッテ・フォルケホイスコーレは、ロウアーの子供たちや無名の人々のための学校です。ここでアートに触れた子供たちや無名の人々は、ここで美意識としての「環境」、「アート」、「メカ」を体験し、自己学習によりアーキテクチャー、インテリア、エレクトロニクスなどの様々な領域で既存のアカデミーの次元を圧倒するスキルで世界中をアートしていきます。
アート小学校・バウヒュッテ・フォルケホイスコーレには、入学金も月謝も必要ありません。30分100円のスペース使用料と材料費だけです。フリーカリキュラムでいつでも自由に利用できます。お子さま、高齢者、障がい者の参加を歓迎しますが、レッジョ・エミーナアプローチのような保育所機能は要しておりませんので
必ず保護者同伴でのご利用をおねがします。
“クラウド上の学校”自己学習の提唱者であるスガタミトラ氏によるスラムの街角にコンピューターを置いて、子どもたちに自由に使わせる自己学習アプローチを踏襲するものです。
HECP0357は、アートの家〜レッジョ・エミリアアプローチ
HECP0357は 、高齢者を中心とした地域の住民と子供たちが日常的な生活空間の中で、コモディティーとしてのアートに触れ合う場として位置づけられます。イタリアのレッジョ・エミリアアプローチのように、アートやモノづくりを通じて高齢者や障がい者たちの家づくりに子供たちが集まって参加するというスキームです。従来の教育方法とは根本的に異なるアプローチなのです。
欧米ではクリスマスや誕生カードは手作りが基本で、どんな絵の下手な人でも絵をコピーして色を塗ったり、あるいは落ち葉を集めてそれを貼ったりと下手は下手なりに工夫して自己学習でアートの感性を磨いていきます。日本のマニュアルの学習アートとそのアプローチが決定的に異なります。
イタリア人の家は、人を家に招いたり、招かれたりするサロンとして人と人との交流場所になっています。そこから素敵なモノを家に置きたい、美味しい料理や、人生の素敵な舞台を作りたい、という気持ちが生まれて、美大や美術館よりも、それがアートの美意識の土壌となっています。
雑貨風土
雑貨は美的なものですがアートであろうとしはしません。あるいは芸術的美点を備えてはいるけれども、初めから芸術品 であろうとしてつくられたものではありません。雑貨は芸術であろうとする 野心を持たないので、必ずしも機械と対立し、こ れを敵視するものではありません。一定のデザイ ンによって無限に大量生産しうる工業生産ではないが、同じ作品はただ一つ一回だけという一点物のコピー否定の態度をとることもありません。雑貨は無銘性を本質とす るものであり、私たちが美 しい、あるいは快いクラフトの作品を手にしたと き、その生産地はわかっても、製作者の個人名が わからないときに感じる一種の安堵感を皆さん経 験しておられることと思います。逆に名人だれそ れの作品とわかると、それを用具として気軽に使 うことに一種の心の制約を感じるからです。 できのよいスマートな工業製品が好まれるのは、 その安さと同時に無銘性の気やすさなのです。雑貨は美的であると同時に、人間の生活に用具として使用されるものという意味をもっています。雑貨が生活に役立つという意味は、日常生活のコモディティ=用具としてです。そして私達の 生活は経済と無関係ではありません。したがって、雑貨は単に美的見地からだけではなく、経済的見地をも含めて考えなければ十分とはいえません。
産業革命の後、ウィリアム・モリスがアーツ・アンド・クラフツ運動を興して以来、アートが立ち向 かい続けている矛盾、すなわち、手仕事を尊重すれ ばするほど、できあがるものの価格が高くなり、身の回りの小芸術は民衆の手から離れていってしまうのです。
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