蒲生三丁目の「家」ー 〝ガモウ・ジャポニズモ〟という共同性。過去(=記憶)を未来(=願望)に投企する時間制が存在する。

蒲生三丁目の「家」ー

〝ガモウ・ジャポニズモ〟という共同性。過去(=記憶)を未来(=願望)に投企する時間制が存在する。


地区内の小さな住居、路地に様々なアートがきめ細かく並べてられている。ちっぽけな住居や都市空間でも、創意工夫で美しいギャラリーやミュージアムになる、というわけだ。この住居ギャラリーや路地裏アートは、高密度に暮らす〝ガモウ〟ならではの展示手法。身の回りの小さなところからアートを育てていくこの伝統技術を深め、地区全体に広げていくことが重要である。小さなアートを路地、玄関口、窓際、ベランダなどに持ち込み、できればご近所で相談しならが通りすべてが美しく調和のとれたデザインとなるように工夫し、地区全体のアート化につなげていく。開発により都市をアート化し、アートを増やすことはすばらしいことだ。しかし、〝ガモウ〟には〝ガモウ〟のやり方がある。小さなアートを慈しみ、それらを近隣で分けて、どんどん増やしていく。その過程で、近隣とのコミュニティが密になり、町にコミュニケーションが広がり、スマイルが増えていく。安全で安心できる住みよい美しい町が育てられていく。これが本来のアートによるリ・コンシャスのまちづくりの目的であり、ガモウ的なThe regionの目標と言える。



蒲生三丁目には、コンビニもないし、ファミレスやファストフードもない。戦火をくぐり抜けた家屋長屋路地風景街並み風景には侘び寂びや鄙びた街並み郷愁を憶える不思議な空気感が存在する。


古い街道から路地階段を下れば、小さなうらぶれた公園がある。坂から自転車で駆け抜ける2台の親子の自転車が駆け下りる。坂の上には貨物線の踏み切り越しに、見上げたOBPのビル並み上に広がった空。下校途中の子供たちは踏切横の地蔵尊の前で屈託のない会話をしながら、電車の通過を待っている。何度となく見上げた〝蒲生三丁目〟の空は、ただ単に澄んだ青ではなく、少しではあるが確かにマゼンタ(紅紫)が混ざっていた。都会の空色(水色)でもない、田舎とは明らかに違う青に、時間が止まっているような感覚を強く意識させられる。戦災を潜り抜けてきた〝蒲生三丁目〟の街並みや空には、きっと<サウダーデ>が滲んでいる。

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